2015年7月 1日 (水)

安保法制は国民的改憲議論が先。

最近、安保法制の事で政界が揺れている。と言うより安倍内閣はこれを強引に押し進めようとしている。

集団的自衛権は、ほとんどの憲法学者が違憲だと結論ずけているにもかかわらず、政府は数の力で今月の半ば迄には国会を通そうとしている。

サヨクは市民の反対運動団体と共に「戦争法案」として反対闘争している。新聞などの調査では国民の60パーセント以上は反対していると聞く。賛成はどのくらいいるのだろう?

安部総理は法案が成立したら、後に憲法改正に着手するだろうが、私に言わせればそれはまったく逆で先ずは憲法改正議論が先であるはずだ。この国の軍事的あり方をどうするのか。具体的には憲法9条を改憲するのか、しないのかが先であるはずだ。改憲ならばどの様に改憲するのか、その中での安保法制である。

しろとの私でも憲法9条を読めば明らかに違憲であると思う。自国の自衛を考えるなら、何も集団的自衛権など持ち出さなくても個別的自衛権で十分である。

今、安部総理は何故そこまでして法案を通そうとしているのか?私は、アメリカの思惑が強く働いているとみる。軍事的にたいどうする中国に対して同盟国である日本への共同戦線をよりスムースにする為である。中国の東シナ海への進出は周辺国とトラブルを起こしている、これにアメリカも危機感を感じている。ご存知中東ではイスラム国が過激な闘争を起こしている。世界の警察を自認するアメリカではあるが、経済的にもイッパイいっぱいであろう。そこで世界第3位の経済大国である日本のバックアップがほしいのだ。

反共親米派の安部総理としては、ここはどうしてもアメリカのご機嫌をとっておきたいところだ。
普天間基地の移設にしても、サヨクや住民の意向などどこ吹く風で押し進めようとしている。

言っておくが、私はサヨクの考え方に全面的に支持しているわけではない。中国はこれからの日本にとってますます脅威になって来るだろう。その時、ただただ「平和、平和」と唱えていれば平和でいられるわけではない。
そこには国際政治学的戦略が必要である。アメリカや中国とどのようなスタンスを持って付き合っていくのか。戦後日本が築き上げてきた「平和ブランド」維持しつつ、軍事だけではなく、経済、文化を含め深慮しなくてはならない。それには国民的意識を深める為にも憲法改正論議を先ずするべきである。

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2015年2月 5日 (木)

今、世界から“日本人とは“を問われている。

最近、中東でイスラム国と名乗るイスラム原理主義を標榜する武闘集団に日本人の二人が拉致され、二億ドルというとんでもない額の身代金を要求してきた。断れば直ちに殺害すると恫喝している。それは許し難い行為だ。

しかし、メデアをとおして、それが我々日本人の置かれている複雑に絡み込んだ中東社会のリアルであることを知った。日本人の大半は遠い国の出来事だと思っていたが、この事でいきなり戦いの真っ只中に引きずり出された思いで国中動揺している。

それにしても、何故我々はこの戦いに引きずり込まれなくてはならなくなつたのか?

中東は日本にとって原油というエネルギー確保に欠かせない地域である。それにはこの地域の政治的安定が第一である。その為以前からODAを含め様々な援助をしてきた。

しかし今回の件は、安部総理が中東諸国を訪問し二億ドルの援助をすると申し出た。しかし人道支援とは言え、イスラム国と敵対する国々にである。そこに口実を与えてしまったのである。だから、日本政府は当然、拉致された邦人を救出する責務がある。私としても、無事二人が解放されることを切に願っている。

とはいえ、今後日本はどんなスタンスでこの問題に関わっていくのか気がかりである。宗教的観点から考えるなら、イスラム原理教対西欧キリスト教の武力的戦いに神道、仏教など多宗教国の日本がこれ以上巻き込まれるのは絶対反対である。

しかしながら、何もせず手をこまねいて傍観を決め込むのもどうしたものだろうか?このグローバルな世界で一国平和主義ありえない。中東に平和をもたらすために日本に出来ることは何だろうか。 (1月25日の日記より)

後藤さんも湯川さんもイスラム国に殺害されてしまった。何もできなかった日本政府の無力さを痛切に感じる。政府は今後とも人道支援はつずけると言っている。それには異論はない。ただそれ以上の武力的な支援には一切関わってほしくない。ましては、この機に乗じて武力施行を可能とする法制化には断固反対する。

武力をもってイスラム国を壊滅したところで何の解決にもならない。テロは無くならず、世界に憎悪を撒き散らすだけである。


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2014年12月29日 (月)

年の瀬に思う。

後、2日で正月です。いつも感じるのは、過ぎてしまえば1年はアッという間です。
そう考えると、人の一生はなんて儚いものですね(チョット、飛躍し過ぎか^_^;)


年末に面白いニュースが入って来ました。それは、小沢一郎と山本太郎がタッグを組んで「生活の党と山本太郎とその仲間たち」と言う政党を立ち上げた事です。党名が売れない三流フォークバンドみたいですね。いっそ日本を代表する名前のお二人なので「一郎・太郎」党にしたらどうでしょう。

一部では、政党助成金欲しさの野合だと批判しているが、方向性は同じですよ。政界を知りつくした海千山千の小沢氏と素人丸出しの山本氏、ついでに民社も巻き込んでドン・キホーテよろしく巨大風車(自民党)に突撃して、大いに政界を盛り上げてほしいと思います。

政治と言えば、何だか数年前より日本が右傾化しているように思います。やはり阿部政権の登場が大きいのでしょうか。今まで,「左」に抑え込まれた鬱屈が解放され表に出てきたように思います。それはそれで悪くはないのですが、反知性的なヘイト・スピーチは嫌悪感を感じます。

私のスタンスはやや左のリベラルでしょうか。国を思う気持ちは大切だし、日本の国旗のデザインはとても美しく日本人の心を象徴しているように思います。天皇制を始め、長く深い伝統を誇りに思っています。


だからこそ、他国に対してもその国の誇りを傷つけてはならないと思うのです。普通に考えれば自国を愛するのは当然ですが、先の戦争に敗戦した事によって日本はややこしくなりました。でも、もうそろそろコンプレックスから解放されても良いのではないかというのが、阿部総理の言うところの「戦後レジーム」からの脱却でしょう。

そこで大切な事があります。「戦後レジューム」からの脱却。それはそれで良しとしますが、為政者(権力者)たちは、その国民感情を自分の都合の良い方向へと誘導しかねないのです。自分達に都合の悪い情報を封圧したり、いつの間にか民衆を抑圧するような法律を定制したり。。。近頃、きな臭い匂いが漂いはじめているのが気になります。


さて、もうすぐ215年です。今後とも日本国が平和で、人々の心が豊かで幸せであることを祈ります。

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2014年5月21日 (水)

集団的自衛権は憲法9条に反する。

前回のブログで、といっても半年以上前の事だが、最近にわかに加速している集団的自衛権について私なりの考えをまとめておきたい。
新聞などのアンケートによると70パーセント以上の国民が賛成していると聞くと、チョット驚きだがその60%が限定的にと言っている。つまり、10%ぐらいが全面賛成で残りは不安を持つての賛成でと反対なのだ。
この結果は、中国の尖閣諸島への圧力や北朝鮮問題に対して同盟国であるアメリカとタッグを組まなければ乗り切れないと感じているからだろう。それはそうだろ。近年軍事力を増強し世界第二位の軍事国家である中国と事を構えるには日本一国では、勝ち目がないと考えるのが普通だろう。アメリカもまたこのところ軍事費出費で国の経済が疲弊しているのでそうなったら日本の助けがほしいと思う。
しかし、問題はそこである。今一度集団的自衛権の本質は第三者の戦争に介入することなのだ。つまりアメリカの起こす戦争に介入する道を開くことなのだ。それを日本の総理が決定権もつという法律だ。そうなれば自衛隊は戦争に行かなければならないし、当然日本も攻撃対象となる。私は、これでは戦争放棄を謳う憲法9条の拡大解釈で法律をなし崩しにしていると考える。たとえ、安部総理が邦人が護送されているアメリカの船が襲われれても何もできないというが、個部的自衛権または警察権で対処できるはずだ。
ご存知だと思うが、アメリカは戦後、自ら世界の警察を自認し絶え間なく戦争を起こしている国なのだ。そんな国と限定的などと言っている日本が、通るわけがない。仮に誤って好戦的な総理を選んでしまったら日本未来はないと思う。そんな危険な法律をたかが数十人の議員が決めて良いものだろうか?
かと言って現実的な事を考えれば、日本一国で国を守ることができるのかと言えば危うい。
そこで私の考えだが、多国籍同盟国軍を日本が先導して創設することだ。例えば南シナ海で中国と問題を起こしているフィリピンやベトナム、その他のアジアの国々と連携して軍隊を作り互いの平和を守るアジア版警察同盟である。これなら9条に触れないだろう。
国は無理な法律拡大解釈をせず、平和を守る道があるはずだ。法律を変えたければ姑息な真似をせず正々堂々と憲法改正をする意義を唱え、国民の3ぶんの2の賛成を得なくてはならないのだ。

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2013年9月 4日 (水)

夏の終わりに思う、三、四の事。

 
 今年はホント暑かったですね。今まで生きてきて記憶にないほどです。冷房嫌いの私でさえ連日連夜クーラーを使っていましたから。

 ところで、最近気になるニュースですが、所謂ネットを使ったおふざけです。コンビニのアイスボックスなかに横臥した画像は有名ですが、その後もその手のものが後を絶たないですね。昨日もバスの後部にブル下がるようにしていた男の画像が流されていましたが(意図的にか偶然はわかりませんが)
 いつの時代でもクラスに一人や二人そんな奴はいました。私もそんな一人かもしれませんが、ほとんど罪もないものでした。
 今もこの手の人達は罪意識などないでしょう。だから次々とおこっているのでしょう。仲間内の武勇伝、または私はこんなに面白い的な単細胞意識でしょう。

 ただ問題は、あなたが流している画像はネットによって世界中に流れるのですよ、が抜け落ち、そのことによって大きく社会的損失を被る会社、組織がある、というところに想像力が及ばないのが致命的なのです。それだけではなく社会的モラルも問われるでしょう。

 怖いのはこうした思考というものさせない、または奪っていくシステマティックな社会、指一本で世界とつながっていく事の怖さをもっと自覚すべきだと思うのです。でないと、おふざけが国内にとどまらない問題に発展しかねません。
 

 次に気になるのは原発事故による汚染水漏えい問題です。政府はやっと腰を上げ、地下水を氷で固めて流入を防ぐとかいっていますが、何百億円の税金を使ってやろうとしていますが成功するのかは未知数です。他にも汚染水を浄化するシステムを作るそうですが、それも成功するかどうかわかりません。

既にタンクから漏れた汚染水は、人が4時間もあたれば致死するそうです。この事態は大変なことなのですが、すでに海外のメディアはそのことを大きくあつかっていたのに、大元の日本は後手後手の東電の情報を流すだけでした。
 
 これからですよ。本当に怖い放射能問題は。なにせ広範囲にわたり空気と水(海)を汚してしまったのだから。それからいまだ25万人の方が故郷に帰れなく苦労されている現実。なのにまだ原発は必要だと言っている政府、役人、経済界。よっぽどおいしいのでしょうね原発は。

 さて最後に憲法改正問題です。私の立場としては憲法改正してもよい。だだし、戦争のできる国にしてほしくないです。自衛権については当然ですが、他国を攻撃してはならないのです。そこででてくるのが集団的自衛権のことです。

 誰かが分かりやすい例えで、友達があなたを守るために喧嘩しているのに助けないのか、行けるようにするのが集団的自衛権です。とか言っていたが、分かりやすいがそこには大変な過ちがあります。同盟国を友達にするのはどうかと思う。だいたい国と国の関係は、友達のような情緒的なものではなく、国益重視であり、パワーバランスであるから、例えにならないのだが、結構納得してしまう人もいるでしょう。これまでも適当に解釈してケースバイケースでやってきたので、今さら憲法をいじる必要はないと思うのです。先日、引退宣言された宮崎駿さんも似たようなことを言っていたようです。

 私は、アメリカといしょに戦争のできる国にするのは絶対反対です。日本は、アメリカと思想、立場がちがいます。そして自国は自国で守る気概を持たねばとも考えています。

  外では夏の終わりを告げるオーシンツクツクが鳴いています。これから夏の疲れがでてきます。皆様お身体をご自愛くださいね。 

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2013年7月25日 (木)

大局的な視点こそ大切

  先日(7・21)参議院選があり、前日まで私は選挙に行こうとしていた。しかし、はたと気が付いたことがあり、結局、棄権してしまった。投票したい政党なり、人物がいなかったのだ。マスコミの選挙行こうキャンペーンや、一般の大人の常識として選挙には行くべきだと何となく考えていた自分がいた。  私の選択は正しかったと思う。棄権する選択肢も国民の意思の表れであると考える。それは、政治家や政治に対する不信表明である。現に今回の投票率の低さにそれが表れているのではないか。  大方の予想どおり自民党圧勝である。「捻じれ、捻じれ」と安部総理が呪文のようにとなえれば、何だか捻じれはいけないことのように思えてくるのが不思議だ。じゃぁ、なんのための参議院だということになる。経済を立て直すアベノミクスだ、という幻想に踊らされて、もっと大事な事を忘れて投票していいる国民。かつて経済は一流(すでに一流ではないが)政治は三流といわれていたが、相も変わらず三流です。  この国の政治を嘆いているのではない。そうした政治を成り立たせている国民の政治意識が三流なのだ。  経済、確かにそれも大切だろう。だが、既に日本は、充分な豊かさを手に入れているではないか。それより原発による様々な被害、被爆の現状と対応。はたまた憲法改正問題。この国を戦争のできる国にしてよいのだろうか?  それにしてもマスコミの劣化はひどい。権力とスポンサーには平身低頭。当然といえば当然だが、有能なジャーナリストはTVから干され、反権力的な言動をする人間は、スルー、又はバッシング(山本太郎さんが心配です) 我々は何を信じどうするべきかの指針を失って、ただただその時の時流に踊らされている。  今の時代、日本国としてどうあるべきか?将来、日本はどんな国にしたいのか?という大局的な視点こそ大切であると思う今日この頃です。

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2012年10月16日 (火)

浜岡原発賛否条例否決に思うこと。

浜岡原発の再稼動の住民賛否条例案は、門前払い的に自民党の議員の連中に否決されてしまった。最初からある程度は予測していたけれど、知事さんがもう少し粘ってくれるとおもっていたが・・・まぁ議会を混乱させたくはなかっただろうね。

それにしてもこの重要な問題を、なにも議論せず16万余りの民意も反故にする政治家とはいったい何者だろうと思う。真面目に仕事していない税金泥棒以下じゃあないのか?

事の賛否を問う条例というのは、直接的な民主主義で、我が国の間接的民主主義ではないので、通常からいえばノーではあるが、こと、住んでいる住民の生活、いや生命に係わる問題なら、住民投票はあってもいいのではないのか。

以前も、静岡県で住民投票をやろうとした問題があった。それは静岡空港の建設であったが、反対する県民が多く、そのときは知事と議会が賛否投票をやるようなことを言ったが、ポーズで終わったことがあった。つまり、強引に空港はできてしまった。地方空港はのきなみ赤字経営というのに・・・その後の空港経営のあがきをみればわかる。

話を戻そう。私は住民投票条例は、政治家にとってうざいことだと思う(事の重要性にかかわらず)ましては、国は、こんなことがあり、原子力行政にだまされ、不安を感じている民意を無視し、まだ原発を国策としょうとしている。経済、利権を優先している政治屋どもだ。

むしろ条例賛否案ではなく、16万、17万それ以上の浜岡原発廃炉署名を集めて、県や国に叩きつけた方が効果的ではないかと思った。

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2012年10月 3日 (水)

金子哲雄氏の「死」に想うこと。

昨日は、ショックなことがあった。流通ジャーナリストの金子哲雄氏の突然の死である。正確には突然ではなく、すでに半年以前から肺カルチノイド(癌似たような病)に侵されていたが、周囲には内緒にしていたので、気付かなかったようだ。激痩せしたときも、ダイエットに成功したようなことを言っていた。

私は、べつに彼のファンでもないし関心があるわけでもないが、41歳と言う若さ、あの明るく、やや胡散臭いキャラから「死」を想像できないのだ。その彼が、突然と言うかたちで死にいたったからだ。今更ながら人生何が起こるかわからない。私を含め、友人、知人たちがそろそろそんな年齢になっていると自覚せざるを得ない。人は儚いものである・・・だからこそ命は大切であるという当たり前のことを再確認したしだいです。

                                                    合掌

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2012年7月31日 (火)

反原発集会に参加した。

昨日、東京日比谷公園での

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反原発集会に参加してまいりました。情報だけではなく、実際にこの目で確かめたかったのと、原発再稼動に疑問がある私としての意思表示をしたかったからです。

ここで、私の原発にたいするスタンスというか、意見として明確化するならば、一口に言えば、反原発というより、脱原発でしょうか。いますぐ原発をなくせといっても(電力不足になるということではなく、廃炉にするのに)無理あるので、近い将来、日本の国から原発を無くしたいと思います。そして、電気エネルギーは、すべて自然循環型のものに切り替えてほしいと考えます。

というと、すぐに現実問題をうんぬんする人が出てきますが、私は思想、または日本のエネルギー政策の方向性として脱原発を目指したいと考えます。そのうえでどうエネルギーを獲得していくのかを考えたらよいという立場です。

坂本龍一が言ったことでネット、マスコミなどが騒いでいます。「たかが電気の為に美しい日本、国の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」と述べたことに対して、たかが電気とは何事だ、と言うのが反発の要因になっているようです。確かにそのままの解釈なら、怒る人がいても頷けます、それに彼は電気自動車のCMまでしていたのですから。しかし私は「たかが電気」だと思うのです、その後につずく言葉を吟味してください。つまり日本、または押し広げて地球が汚染されたことで人の住めなくなってしまうことを考えれば、たかが電気でしょう。人類が電気を使用しはじめてたかが100年ぐらいです。江戸時代は電気なしで日本人は生きていたのですから。

そんな昔に戻ればいいといっているわけではなく、こんなに危険であることが実証されているのに、原発を推進するのは(経験から学ぼうとしないバカとしか思えない)
無謀であると思うからです。

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2012年7月14日 (土)

大津市中学校いじめ問題に思うこと。

大津市の中学校いじめ自殺問題が、マスコミを賑わせている。教育界の官僚(教育委員会など)の無能、保身ぶりがいまさらのように曝け出されて、見ていてイタい。

いじめは昔からあった。私も40年以上まえだが、中学の時にいじめにあったことがある。今思えば、自分がいじめにあった原因は、団体になじめない異分子であったと考えられる。日本社会では、よくあることだ。

問題はそれを見てみぬ振りをする隠蔽体質の教育現場、教育管理者はいうまでもなく、自浄していく力を失っている社会である。もし仮に今回亡くなられた子のご両親が声を上げなかったら、マスコミもこれほど取り上げなかっただろう。(いままでいじめで自殺した子供は闇に葬られている)

かつての社会は、悪いことは悪い、ダメなものはダメと言え、それを諌めるシステムのようなものがあった。しかし現代は、そうすることのしにくい、できない社会になっている。個人の自由度が制限され、管理され、かつ分断されているように思う。高度な利害関係に支配されていると言い換えてもいい。敷衍すれば、いじめ問題だけにとどまらず、原発問題、沖縄問題しかりである。

いじめの根底は、人の持つ暴力衝動がある。その衝動をどう昇華していくのか?「弱いものをいじめるのは人として情けない、恥ずべきことだと」その人間が自覚しない以上なくならない。未熟な中学生にそれを、教えるのは教育の現場であり、両親だろう。そしてマクロ的に考えれば、前述したように、社会そのもののシステムを変革していくしかない。弱者である一人々が声を上げ、そうした社会の不正義や矛盾は、社会的強者が利害を超えて正そうとしなくては解決していかないだろう。

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