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2015年10月 1日 (木)

安保法案、本質的議論にならず、捻れたままの日本。

安保関連法案は、数の力を持ってして当然のごとく通過した。国民の大多数が反対であり、不安視しているなかで、国会は自民党も野党も茶番劇を演じたのである。

改めて民主国家とはと考えてしまう。選挙で選ばれた政治家が国を動かしているのだから、仕方ないのかもしれないが、選挙制度も含めて釈然としないと、多くの国民は思っているのではないだろうか。

特に今回問題となったのは集団的自衛権の憲法9条に抵触する違憲論だろう。今迄の我国は集団的自衛権は有していても施行できないということになっていたが、安部内閣は出来ると言い出した。それに対し多くの憲法学者は違憲であると判断している。しろとの私もそう思う。これは、とてつもなく重要な事で為政者の都合で、憲法を勝手に解釈するのは立憲国家の否定である。そこが国民が恐れるところであり、ずるずると戦争に巻き込まれるのではないかと不安視するのである。

断っておくが、私は集団的自衛権の施行を否定しない。ただ今回のやり方(違憲行為)が納得できないのだ。まず、いつだってそうなのだがアメリカの言いなりなのだ。9条は周知のようにアメリカが戦後日本にもたらしたものだが、自衛隊の創設などアメリカの都合で、日本の国防問題は常に歪曲されてきた。

私はの持論は、自国の防衛は先ず自国で守るべきであり、そのうえでの集団的自衛権である。それでこそ独自国家と言えるのだ。当然そのためには憲法を改正しなくてはならない。誤解のないように言っとくが、私は憲法9条は素晴らしいと思っている。世界に誇るべきものだと思うが、現実はというか、人類はまだまだそのレベルではない。戦争の種はつきず、いつ巻き込まれるか予断は許されない。

故に 平和憲法の精神を受け継ぎ、専守防衛に徹しながらの改憲である。そうなれば自衛隊は、堂々と国防軍を名乗ればいい。国を守るのは尊い仕事だから、誇りを持つこともできるだろう。一国の利益のためでは無い、国際的平和秩序も守らなくてはならない。

それには、アメリカからの軍事的独立であり地位協定のような不平等な協定の見直しである。アメリカという国は、建国以来ほとんど戦争をしている国である。是々非々で付き合えなければ、近い将来、我が国も国内テロ事件が起こるだろう。今回それを大変危惧する。

一部のネトウヨが騒ぐように今、中国が攻めて来ることは現実味が無い。そうした不安を煽ったり、それに乗じて強引とも言えるかたちで、アメリカ様の言いなりで事を運ぶ政府が信用出来ないのだ。チラチラと戦争屋(武器商人)の影が見えるのも不気味だ。

今回の騒動も、本質的な防衛問題切り込まず、捻れたままの解釈になってしまったことを残念に思う。これは野党の責任でもある。さいそう国民的な議論が必要である。

立憲主義、独立国家として、そして正しい民主主義を実行する国、日本でありたいと願うは多くの国民の希求するところだと思う。

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