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2015年2月 5日 (木)

今、世界から“日本人とは“を問われている。

最近、中東でイスラム国と名乗るイスラム原理主義を標榜する武闘集団に日本人の二人が拉致され、二億ドルというとんでもない額の身代金を要求してきた。断れば直ちに殺害すると恫喝している。それは許し難い行為だ。

しかし、メデアをとおして、それが我々日本人の置かれている複雑に絡み込んだ中東社会のリアルであることを知った。日本人の大半は遠い国の出来事だと思っていたが、この事でいきなり戦いの真っ只中に引きずり出された思いで国中動揺している。

それにしても、何故我々はこの戦いに引きずり込まれなくてはならなくなつたのか?

中東は日本にとって原油というエネルギー確保に欠かせない地域である。それにはこの地域の政治的安定が第一である。その為以前からODAを含め様々な援助をしてきた。

しかし今回の件は、安部総理が中東諸国を訪問し二億ドルの援助をすると申し出た。しかし人道支援とは言え、イスラム国と敵対する国々にである。そこに口実を与えてしまったのである。だから、日本政府は当然、拉致された邦人を救出する責務がある。私としても、無事二人が解放されることを切に願っている。

とはいえ、今後日本はどんなスタンスでこの問題に関わっていくのか気がかりである。宗教的観点から考えるなら、イスラム原理教対西欧キリスト教の武力的戦いに神道、仏教など多宗教国の日本がこれ以上巻き込まれるのは絶対反対である。

しかしながら、何もせず手をこまねいて傍観を決め込むのもどうしたものだろうか?このグローバルな世界で一国平和主義ありえない。中東に平和をもたらすために日本に出来ることは何だろうか。 (1月25日の日記より)

後藤さんも湯川さんもイスラム国に殺害されてしまった。何もできなかった日本政府の無力さを痛切に感じる。政府は今後とも人道支援はつずけると言っている。それには異論はない。ただそれ以上の武力的な支援には一切関わってほしくない。ましては、この機に乗じて武力施行を可能とする法制化には断固反対する。

武力をもってイスラム国を壊滅したところで何の解決にもならない。テロは無くならず、世界に憎悪を撒き散らすだけである。


やはりテロを生みだす根本は、「貧困」であり、西欧諸国(日本も含む)との「格差社会」だろう。中東の人達に 職があり、家があり、学びがあり、安心して住める国土が何よりも必要だろう。宗教対立はそれらが満たされれば、乗り越えられるはずだ。

今こそ平和国家を標榜する日本が試される時だと思う。勿論、後藤さんたちを救えなかった政府の責任は問われなくてはならないが、国内で右だ左だと内紛している時ではない。それこそがイスラム国の思う壺であり、犠牲になった後藤さんの望むことではない。今、我々日本人は世界から“日本人とは”を問われている。

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